真昼の読書から

 福島の浪江に、第一原発から14キロぐらいのところに牧場があるんですね。そこで牛を飼っている人を取材しました。希望の牧場・ふくしまの吉沢正巳さんという方です。吉沢さんは汚染された牛を殺処分しろという国の厳命に逆らって、330頭の牛をその牧場で飼い続けている。絶対殺さない、生かしておくんだと言って。彼が言うには、殺してしまったら放射能が生物にどういう影響を与えるのかわからなくなると。放射能牛を長期的に生かした場合にどういう変化が起きるのか、それを調査するための貴重なモルモットでもあるのだから、生かしておくんだと。そのために数カ月で600万も餌代がかかるのに、飼い続けている。(中略)
 吉沢さんと話して、あっと思ったのは、彼の口から「棄民」という言葉が出てきたんです。国は自分たちを畜生のように扱って、棄民扱いにしていると、泣きながら話すのですね。なぜそういうのかと聞いてみると、彼の両親は満州の開拓民で、関東軍に捨てられ、国に捨てられて命からがらに日本に帰ってきた人たちなんです。そういう悲惨なことがあって、彼の両親はまさに棄民を体験した人で、その息子である彼も、被災して、生活の糧であったものを強制的に国に取り上げられようとしている。それで、彼は自分も棄民と同じだと言っている。考えてみれば、汚染された福島を追われて四散した人たちだって、故郷を奪われた棄民ですよね。帰るに帰れない。(中略)
 日本はエネルギーを石油に転換して、苦しいところを乗り切って発展しましたというサクセスストーリーでは、とても語り得ない。昔の話だけでなく、今の格差社会で社会からはじき出されて、ブラック企業で死ぬほど働かされたり、ネットカフェを転々としている若者だって棄民同然です。
(『世界「最終」戦争論 近代の終焉を超えて』(内田樹姜尚中著)より)