居場所がないこと 『テンプル騎士団』(集英社新書)『金輪際』(車谷長吉)

 集英社新書テンプル騎士団』に、キリスト教徒にとっての「破門」とは、「コミュニケーションの外に出すこと」ということが書かれています。(以下、抜粋)

 何のコミュニケーションかというと、まずは教会と信徒のコミュニケーションである。神父に懺悔も聞いてもらえないからには、罪を許されることがない。結婚式も挙げてもらえない。独身のまま老いても、臨終の秘蹟をもらえないので、天国に行く道がない。(中略)破門されれば、もうキリスト教の社会には居場所がない。(抜粋、終わり)

 長吉兄いの『金輪際』にも、「居場所」のことが書かれています。(以下、抜粋)

 こちらは、そこにいるのをいやがられている男だった。が、居心地のいい場所も、坐り心地の悪い場所も、実はそこが自分の坐る場所なのだ。「きみは、もう帰ってもいいよ。」と言われて、すごすご田んぼ道をたどり、家へ帰ったあとの居場所のなさ、空虚さに堪えられなかった。そこにいるのをいやがられる男として、そこに存在し続ける以外に、私には生の時間はなかった。(抜粋、終わり)

 「金輪際」は「無限に深い所」という意味の仏教用語らしいですが、長吉兄いの文章も、なかなか深いと思います。