漱石先生の臨死体験 『思い出す事など』(夏目漱石)
強いて寝返りを右に打とうとした余と、枕元の金盥に鮮血を認めた余とは、一分(ぶ)の隙もなく連続しているとのみ信じていた。その間には一本の髪毛を挟む余地のないまでに、自覚が働いて来たとのみ心得ていた。程経て妻から、そうじゃありません、あの時30分ばかりは死んで入らしったのですと聞いた折は全く驚いた。(中略)ただ胸苦しくなって枕の上の頭を右に傾けようとした次の瞬間に、赤い血を金盥の底に認めただけである。その間に入り込んだ30分の死は、時間から云っても、空間から云っても経験の記憶として全く余に取って存在しなかったと一般である。妻の説明を聞いた時余は死とはそれ程はかないものかと思った。(抜粋、終わり)
私は「自分の死を自覚したい」という希望を持っていますが、「気がついたら死んでいた」というのは、あり得ないのかもしれませんね。