ステキな遠回り 『阿房(あほう)列車』(ちくま文庫)

 「雪中新潟阿房列車」という章に、面白いエピソードが書かれていました。(以下、抜粋)

 新潟は初めてではない。
 大正十二年の大地震より何年か前に行った事がある。
 その当時、陸軍教授を拝命し、陸軍士官学校の教官であった。季節はよく覚えていないが、多分早春であったかと思う。つまり年度末だったのだろう。出張を命ぜられる事になって、行く先も多少はこちらの希望が叶えられたので、私は京都へ行きたいと思った。京都には同志社大学の先生に友人がいたからである。ところが発令になって見ると、私の出張先は仙台である。甚だ気に入らないが、そうときまった以上、後から文句を云っても仕様がない。しかし、どうせ何日かのお暇を貰って東京を離れるなら京都へ行きたい。(中略)
 そこで私は考えて、こう云う事にきめた。命に従い、仙台へ出張する。その出張の途次、京都へ立ち寄って来よう。京都へ立ち寄るのは出張の途中でなければいけない。仙台から一たん東京へ帰って、更(あらた)めて京都へ行くのでは、出張の途次と云う意味が成り立たない。仙台から京都へ廻って、東京へ帰る。東京へ帰るのは一ぺんだけにする事が必要である。(抜粋、終わり)

 この時のエピソードはまだ続きますが、新潟が初めてではないことを書くのに、これだけの文章を挿入しているわけで、旅行でも文章でも、百閒先生の「遠回り好き」がわかります。