灯りの変遷 『忙中謝客』(ちくま文庫)

 『内田百閒集成19 忙中謝客』の中に「向ヶ丘弥生町一番地」という随想があり、灯りの変遷について興味深いことが書かれていたので、適当にまとめておきます。

①江戸から明治への開化で、従来の行燈が洋燈(ランプ)に変わった。
②百閒先生の子どものころ(明治20年代後半)は、大体ランプだったが、家にはまだ行燈もあり、併用する場合があった。
③大正に入ってから、ランプが電燈になった。
④百閒先生の下宿でも、家の人と下宿生4人の相談がまとまって、電燈を引くことになったが、引込料(?)一人当たりの負担額は2円か2円50銭だった。
⑤電燈がついたらパッと明るくなり、目がさめたようであったが、当時の普通の家では、トイレにまで電燈をつけることはなかった。
⑥百閒先生は、真っ暗にすると眠れないので、「夜明け行燈」をともして寝ていた。
⑦当時の本郷の表通り、帝大前の荒物屋ではまだ小型の行燈を売っていたので、それを買ってきてともして寝ていたが、夜中にトイレに行く他の下宿生から、非常にありがたいと感謝された。

 暗闇が大の苦手だった百閒先生、灯りについての記憶も鮮明に残っていたのかもしれません。そういえば、私が子どものころ、家にはランプがあり、停電の時にともしていた記憶があります。