初めて知った「南国忌」(2月24日「読売新聞」)

 本日の読売新聞では、「編集手帳」の内容に興味を持ちました。今日は、直木三十五の命日で、「南国忌」と呼ばれているとのこと。彼の妻(佛子寿満(ぶつしすま))は、長女を出産してすぐに読売新聞の記者として働き始め、子守と家事は夫の三十五が担当したとのこと。それが大正5年のことだそうで、驚きです。彼は、乳をせがむ子供のため、社に出向くこともあったそうです。しかし、暮らしに窮迫し、冬物を全て質入れしたことを理由に、寿満は社を止めたとのこと。(以下、抜粋)

<いくらなんでも外を歩けない><よし、止めろ。なんとかなる>。大勢の借金取りを前に悠々と眠る。ついに夜となって、一言<出来たら払ふ。今はない>。あんな愉快な人はありませんよ、と債権者に言わしめたそうだ。(抜粋、終わり)

 以上のようなエピソードは、おいっ子の植村鞆音さんによる『直木三十五伝』(文春文庫)に書かれているそうなので、読んでみたいと思いました。なお、直木三十五の記念碑には「藝術は短く、貧乏は長し」と刻まれているとのこと。