「謎の空白時代」(立花隆)

 暑すぎて、本を読んでも全く頭に入ってこない(自分の頭の悪さを暑さのせいにしているだけ?)ので、今まで読んだ文章の中で、特に好きな文章を入力することで認知症のリハビリをしたいと思います。30年前に発行された『青春漂流』という本のエピローグの一節です。(以下、抜粋)

 四国の讃岐出身の空海は、十八歳のときに京に出て大学に入った。大学というのは、貴族階級の子弟の教育機関で、古代のエリート教育機関である。
 しかし空海は、せっかく大学に入ったのに、ほどなくしてドロップアウトしてしまう。そして、乞食同然の私度僧(自分勝手に頭を丸めて坊主になること)となって、四国の山奥に入り、山岳修行者となる。
 これ以後、三十一歳の年に遣唐使船に乗り込むまで、空海がどこで何をしていたかは明らかではない。「謎の空白時代」といわれる。山野をめぐり、寺院をめぐり、修行に修行をつづけたと推定されるだけである。それがいかなる修行であったかは明らかでない。(中略)
 遣唐使船に乗り込んだ空海は一介の無名の留学僧にすぎなかった。彼に注目する者は誰もいなかった。
 しかし、唐の地に入るや、空海はたちまち頭角をあらわす。十年余にわたる彼の修行時代の蓄積が一挙に吐き出されて、唐人から最高の知識人として遇されるにいたるのである。密教の権威、恵果阿闍梨をして、門弟の中国人僧すべてをさしおいて、外国人たる空海に、密教の全てを伝授しようと決意させるほど、空海に対する評価は高かった。
 「謎の空白時代」に、彼がどこで何を修行していたかは明らかでない。しかし、その修行がもたらしたものは、歴史にはっきりと刻印されている。唐に滞在したわずか一年余の間に、空海は名もなき修行僧から、密教の全てを伝えられた当代随一の高僧となる。それは、留学の成果というよりは、「謎の空白時代」の修行の成果が、留学を契機に花開いたものというべきであろう。
「謎の空白時代」は、空海の青春である。(抜粋終わり)