『もののけ姫』の思想 『宮崎アニメの暗号』(新潮新書)

 昨夜、久しぶりに『もののけ姫』を観ました。5回目ぐらいですが、最後まで見入ってしまいました。
 ところで、新潮新書『宮崎アニメの暗号』には、「宮崎駿の思想は、『もののけ姫』において頂点に達した」と書かれています。(以下、抜粋)

 その昔、日本における自然は人と対立的に存在するものではありませんでした。花も鳥も風も月も自分たちから切り離して客体として見るものではなく、身内に存するものとして見たのです。『古事記』に始まって近世まで、人は自然界に存在するあらゆるものに対して親愛の情を持ち、個々の事物は擬人化されることでよりいっそう親しみを込めて歌われたのです。
 その感覚は現代的な教育を受けた我々には納得しにくいものです。おそらく折口信夫が『死者の書』において描いた古代人の心性は、もはや誰にも再現することができない失われた世界なのです。だからこそ宮崎は、中世と近世が接する室町という時代を選び、両者の相生相克を描こうとしたのです。(抜粋、終わり)

 腹の底から納得することは難しい文章ですが、「『もののけ姫』が最高」というのは、私も常々考えていたことです。ちなみに5年ぐらい前の工業系の新聞に、「たたら場」に着目した文章が載せられ、当時のフェイスブックに書いた記憶がありますが、見返すのが面倒なのでやめておきます。
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