衣類の疎開 『北雷の記』(ちくま文庫)

 『内田百閒集成19』の中にある「北雷の記」という随想に、太平洋戦争末期の、東京の様子が書かれていました。空襲がまだ激しくなかった頃は、どこの家でも衣類の疎開で忙しそうだったけれども、百閒先生は、「あんなに物が惜しいのか知らと思った」とのこと。(以下、抜粋)

 家には空襲や戦争と関係なく昔から箪笥に著物が這入っていた事はない。季節に身につけている以外の物はみんな質屋に預けてあった。近所の人がお宅ではなぜ衣類の疎開をしないのかと聞くので、ここいらは大丈夫だろう、焼けるもんですかと云って置く。著物なんか焼いても平気ですと云えば一生懸命に荷物を造って運び出している相手を馬鹿にした様でもあり、第一、著物が家に無いのだからそれは虚勢である。しかし一一近所の者に家の箪笥はからっぽだと披露するには当たらない。懇意な友人が疎開の事を心配してくれる場合には、家では一足先に疎開をすませている。戦争になる前から質屋へ移してあるよと云って安心させた。
 何もかも焼けた後で質屋も焼けたと云う話を聞いていよいよさっぱりした。質屋では流れるものと計り思っていたが、焼けたと云うのは新趣向である。火と水が入れ換えになったかと面白がった。(抜粋、終わり)

 「質屋に預ける」という表現が、いかにも百閒先生らしくて、ステキです