三井財閥のスタート 『江戸の家計簿』(宝島社新書)

 『武士の家計簿』を書いた磯田道史氏による、『江戸の家計簿』という著書もあるのを見つけ、さっそく借りてみました。『武士の家計簿』のようなドラマチックな内容ではありませんが、楽しんで読めました。
 その中で、三井財閥の祖である三井高利という人には感心しました。伊勢松阪から、江戸に進出することを決意した時の高利は52歳。彼自身は松阪に残り、江戸に派遣した息子たちに経営者として指示を伝えていたとのこと。(以下、適当にまとめておきます。)

①江戸本町一丁目に出した呉服店越後屋」は、間口わずか9尺の借家からスタートした。
②当時の呉服屋では、得意先の屋敷を回って受注したり、得意先の屋敷に商品を持参して売る販売方法を取っていた。
③上記②のような販売方法では、支払いは年に1回か2回だったので、あらかじめ呉服の値段に利子を含んでいることから「掛け値売り」と呼ばれた。
④高利は、②③の習慣をやめ、店先に商品を並べて、顧客に来店してもらう方式に変えた。
⑤支払いも、利子を付けずにその場の現金決済にしたので、安く売ることができた。
⑥上記⑤⑥の商法は、「店前現銀(金)掛け値なし」といわれた。
⑦当時の呉服屋は、生地は一反からしか売らなかったが、越後屋は端切れでも販売するなど、徹底して庶民に優しい商法を展開した。
越後屋は大繁盛し、既存の大手老舗店から嫉妬された。

 昔も今も、顧客のことを考えることと、柔軟な発想をすることが、商売繁盛の秘訣なのですね。