100年前の胸キュン♡ 『百鬼園日記帖』(内田百閒)

 大正8(1919)年2月16日(日)、前日から知人たちと飲み、午前1時ごろ帰宅した百閒先生が書いた日記が印象的なので記録しておきます。(以下、抜粋。文中の町子というのは百閒先生の奥様です。)

 門をあけて玄関の硝子戸をあけて、戸をしめてもだれも声をしない。寝ていると思って一人で上がって六畳を通って八畳をのぞいて見たらみんな寝ていたけれども町子がいない様に思われた。唐助の寝床に唐助と並んでねていたのだけれども何だか頭が馬鹿に小さく思えて多美と見ちがえた。多美は多美の寝床にねているのを確めて初めて町子だと云う事が知れた。その、頭が変に小さく見えた事が私の心を感傷した。貧乏と世帯でやつれている町子が急に可哀想になって来た。そっと上から覗き込んで見たら頭を少し内側にまげ込んですやすやねていた。きたない、はげちょろの著物をいつもの通り著ている。女だから結婚でどんな運命にでも会い得たろう。こんな見すぼらしくなってそれでも少しも不平なく尽くしてくれるのをほん当にうれしく思った。(抜粋、終わり)

 こんな百閒先生ですが、ちゃぶ台返しをすることもあったので、夫婦って難しいものですね。