『ペスト』(カミュ)を4分の1ぐらい読んで(抜粋)

 天災というものは、事実、ざらにあることであるが、しかし、そいつがこっちの頭上に降りかかってきたときは、容易に天災とは信じられない。この世には、戦争と同じくらいの数のペストがあった。しかも、ペストや戦争がやって来たとき、人々はいつも同じくらい無用意な状態にあった。医師リウーは、わが市民たちが無用意であったように、無用意であったわけであり、彼の躊躇はつまりそういうふうに解すべきである。同じくまた、彼が不安と信頼との相争う思いに駆られていたのも、そういうふうに解すべきである。戦争が勃発すると、人々はいう、「こいつは長くは続かないだろう、あまりにもばかげたことだから」。そしていかにも、戦争というものはたしかにあまりにもばかげたことであるが。しかしそのことは、そいつが長続きをする妨げにはならない。愚行はつねにしつこく続けられるものであり、人々もしょっちゅう自分のことばかり考えてさえいなければ、そのことに気がつくはずである。わが市民諸君は、この点、世間一般と同様であり、みんな自分のことばかり考えていたわけで、別のいいかたをすれば、彼らは人間中心主義者であった。つまり、天災などというものを信じなかったのである。天災というものは人間の尺度とは一致しない。したがって天災は非現実的なもの、やがて過ぎ去る悪夢だと考えられる。ところが、天災は必ずしも過ぎ去らないし、悪夢から悪夢へ、人間のほうが過ぎ去っていくことになり、それも人間中心主義者たちがまず第一にということになるのは、彼らが自分で用心というものをしなかったからである。